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白木正四郎の福萬醤油

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醤油の文化を語るブログ

福萬醤油の地図と萬町の歴史



810-0001 福岡市中央区天神3丁目6番9号

昭和通りから歩いて、親不孝通り(親富孝通り)の真ん中あたり、ABC花屋さんから右に30メートル入った3階建ての家の形をしたビルの中2階です。看板と暖簾が目印です。前にライブハウス:アーリービリーバーがあります。隣に7台の100円パーキングがあります。


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黒田初代藩主黒田長政公が徳川家康の依頼を受けて、槍の装飾に使用するアワビの貝を探していました。此の町に住む町人たちが協力して、22枚の貝を献上したとろ、長政公は大いに喜ばれました。長政公は金銭を町人に下そうとされました。ところが、町衆全員が申し出ました。「では、褒美の代わりに町の名前をください」と。当時、1620年当時、現在の西鉄グランドホテルから長浜公園まで、幅1.7メートル長さ307メートルの細い路地に住む此の町には名前がありませんでした。長政公は、さまざまな人間が集う町、よろずまち(萬町という名前を授けたそうです。福萬醤油は、福岡のこの萬町に開業したので福萬醤油という名前を先祖がつけました。町衆は”御萬町”と有り難く尊称したと言われています。先日、福萬醤油の蔵の中から、巨大な一枚のアワビの貝が家紋入りの布に包まれて出てきたのです。此の貝こそ23枚めの貝ではないかと考えて、大事にしています。
400年の時代が過ぎました。此の町は再び、全国的に町の名前で世間を騒がす騒動が起こります。警察が、親不孝通りという名前が少年非行を促すとして、1997年から2000年までに公式文書や地図から、一時、抹消したのです。三年後、2000年末に、町衆が、知恵をひねり、頓智をきかせて、(不)孝を(富)孝と変えた街路灯をたてました。その街路灯の看板に書く名前を「親富孝通り」としました。反対する警察に対抗するために、現代社会の殿様である、当時の福岡市長の山崎広太郎氏に町の街路灯に揮毫していただきました。歴史は繰り返すと言いますが、不思議な歴史の類似性ですね。
by fukumansyouyu | 2009-10-27 17:09

by fukumansyouyu